Fateシリーズにおける運命愛について

スマホゲーであるFate/Grand Orderをプレイしています。先日放送を終えたアニメ版とは違って、未来世界における聖杯戦争を舞台としたゲームなのですが、Fateの遺伝子を受け継いでいることは間違いなく、原作ファンであっても楽しめるゲームになっています。

Fateは文字通り「運命」をテーマとした物語なわけですが、運命について史上もっとも徹底した思考を展開した哲学といえばストア派です。ストア派は運命愛を説きました。運命に抵抗しようとする生はルサンチマンを生み出しますが、運命を肯定すれば否定的な出来事ですら意味を変容し、怪しい輝きを放ち始めることになります。かつて、半身不随の詩人ジョー・ブスケは「私はこの傷を受肉するために生まれ来たのだ」と運命を肯定し、ニーチェは彼の病に付きまとわれた苦しい人生にもかかわらず「もう一度!」とその反復を願い、運命を肯定しました。彼らは自らの生において運命への愛を唄ったのです。

Fateシリーズもまたこのような運命愛をテーマにしていると思います。衛宮士郎は失望に至ることを承知のうえで英雄として生きる道を選択します。そして、彼はそのような悲しき運命に対しても相応しくあろうとして自分を鍛錬するわけです。一般的に見れば、これは愚かな生でしょう。衛宮士郎の生き方は、自分自身を不幸へと追い詰めるようなものなのですから。しかし、衛宮士郎には恨みがましいところは一つもありません。彼は自分自身の運命を受け入れ、ニーチェのように「もう一度!」と叫びながら、何度も何度も失敗に終わることが定められた人生を生き直します。その崇高な無意味さに視聴者は胸を打たれるのです。

Fate/Grand Orderもまたそうした運命愛に彩られたスマホゲームです。Fate/Grand Orderをプレイすれば、Fateというも物語が「運命愛」の一語に集約されるうるものであることが理解できるのではないかと思います。こうした高貴な哲学を内包しているという点で、Fate/Grand Orderは近年稀に見る傑作なのではないかと思っています。

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